この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第2章 中世篇
建武の中興
(1334年/建武元年)
です。
要点
- 源頼朝以来、140年ぶりに政権が朝廷側に戻る
- 恣意的な恩賞で武士たちの反感を買った
- 建武の中興によるめぼしい功績は特にない
解説
建武の中興とは、建武元年(1334年)、後醍醐天皇が武家政権から政権を奪取した出来事のことです。
源頼朝以来、実に140年に渡り政権は武士が握っていましたが、それに不満を抱いていた後醍醐天皇が討幕のため挙兵しました。
いざ実権を手にした後醍醐天皇ですが、建武の中興の立役者たち(武士)への恩賞が非常に恣意的なものだったため、武士たちが非常に不満を持ちます。その結果後醍醐天皇による親政は長続きしませんでした。
なぜそんな恣意的な恩賞が行われたのか?理由は2つあります。
一つは、後醍醐天皇自身が武士を見下していたこと。もう一つは側室の意見を取り入れてしまったことです。
そもそも後醍醐天皇が討幕を志した動機が、天皇親政であり、武士なき世こそ望ましいと考えていたからなのです。
所感
現代の社会人でも、納得感のある公平な報酬というのは組織運営上重要な要素ですよね。
渡部氏の書籍を読んでいると、「女性が政治に関わるとろくなことが起きない」と言いたげな表現を目にします。
私なりに解釈すると、女性だからダメ、ということではなく、実力や正当な手続きも経ていない立場の人(権力者の妻など)が横からしゃしゃり出てくるのがいけないということだと理解しています。それは女性に限らず、男性でも弓削道鏡などが挙げられます。
また、建武の中興の立役者というべき楠木正成(くすのきまさしげ)は、後の世にその功績が評価され、今では皇居に銅像がたてられています。