日本史 読書ノート

水野忠邦「天保の改革」/世界最大の都市・江戸の経済的成熟度を見誤った失政

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第4章 江戸篇
水野忠邦「天保の改革」
(1841年/天保12年)
です。

要点

  • 老中水野忠邦による綱紀粛正の改革が「天保の改革」
  • 幕府の汚職・腐敗を正し、庶民の贅沢を禁じた
  • 天保の改革はわずか2年足らずで破綻

解説

水野忠邦が老中に就任する前は、「文化・文政の時代」と言われる、江戸文化最後の爛熟期の時代でした。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』などがベストセラーとなった時代です。一方でみだらな風俗・風習が40年近くも続いていたため幕府内の風紀もゆるくなっていました。

老中水野忠邦は、そんな世の中を厳しく取り締まろうと改革を行います。

具体的には、汚職・腐敗を極めていた若年寄以下、実に1000人近い人たちを処罰したり、風俗取締を強化したり庶民の娯楽を制限したりしました。

特に町人に対する弾圧がひどく、結局「天保の改革」は2年足らずで破綻し、水野忠邦は失脚しました。

水野はとにかく、贅沢をし豊かな生活をしている町人が許せず憎んでさえいたようです。そのため水野の失脚の報が伝わると、数千人ともいわれる群衆が彼の屋敷に押しかけ石を投げつける時間まで発生し、逮捕者もでました。

このときの裁きを行った北町奉行の鍋島内匠は粋な人物で、「おまえたちは家事だと思ってさっそく駆けつけたのであろう。ほめてとらす」と言って全員を放免したといいます。

水野の失策としてもうひとつあげられるのが、日本の蘭学のリーダーともいうべき人物を一時投獄・追放したことです。これは後の幕末、開国が迫ってきているような時代において大きな日本の損失でした。

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