日本史 読書ノート

頼山陽『日本外史』を定信に献上/日本中の青年たちを感動させ、維新の原動力となった史書

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第4章 江戸篇
頼山陽『日本外史』を定信に献上
(1827年/文政10年)
です。

要点

  • 頼山陽の『日本外史』は、幕末尊王思想に大きな影響を与えた
  • 文章が桁外れにうまく、歴史書といっても講談のような内容
  • 徳川幕府を一言も批判せずに、かつ尊王の志士を奮起させた

解説

頼山陽は、幕末の儒者で歴史家、思想家です。明治維新の志士たちの中で頼山陽が書いた『日本外史』を読まなかった者はいなかったと言われるほど多大な影響力がありました。

頼山陽は、若い頃から『日本外史』を書き始めていました。その文章は桁外れにうまく、史書でありながら講談のようなおもしろさがあったため評判になりました。

その噂を聞きつけた時の老中、松平定信が読んでみたいと言い出します。そこで頼山陽は、源氏と平氏が興ったところから徳川政権の始まる前までの、徳川家にとって当たり障りのない部分だけど定信に献上しました。

徳川家の不興を買うようなことは書かなかったものの、将軍家と朝廷についての文章には差をつけました。将軍家の場合は改行して他の文章より一時上げて書き、朝廷について書くときは二文字上げて書いたのです。

このように書くと、読む人は自然と「あぁ、朝廷というのは将軍家よりも格上なんだな」ということがわかるという仕組みです。

定信に献上した二年後に発刊された全22巻の内容は、徳川十二代将軍家慶の時代までを扱っていて、最期の文章は次のように結ばれています。

源氏、足利以来、軍職にありて太政の官を兼ねる者は、ひとり公[家慶]のみ。蓋し武門の天下を平治すること、是に至りてその盛りを極む

つまり、武家の徳川家が栄華を極めていると言っているわけです。これは一見、徳川家を褒め称えているように見えますが、幕末の志士たちは武門が盛りを極めているということは、皇室が衰退しているのだと解釈し憤激したのです。

頼山陽は一言も幕府を批判せずに、幕末尊王の志士たちを奮起させました。

頼山陽は『日本外史』に続き、『日本政記』を書きます。これは神武天皇から始まる天皇家を中心に、代107代後陽成天皇の時代までを扱いました。

明治維新の立役者である木戸孝允や伊藤博文も頼山陽から影響を受けており、大東亜戦争までの日本の歴史観は頼山陽の『日本外史』と『日本政記』が大筋になっていると考えて間違いないだろうと渡部氏は述べています。

頼山陽が書いた『日本外史』と『日本政記』よりも、学問的にみてもっと緻密な学者はいましたが、当時の若者の心を動かす力は頼山陽のほうがありました。

日露戦争について書いた権威ある著者は多くいるけれど、国民を感激させたのは司馬遼太郎の『坂の上の雲』だったのと同じようなものでした。

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