日本史 読書ノート

田沼意次が老中となる/田沼の「腐敗の時代」15年間に最も江戸らしい文化が起こった

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第4章 江戸篇
田沼意次が老中となる
(1772年/安永元年)
です。

要点

  • 低い身分から老中にまで抜擢された田沼意次
  • 賄賂と汚職が蔓延した一方、最も江戸らしい文化が栄えた時代
  • 天明の大飢饉をはじめ、天変地異が続いた時代でもある

解説

田沼意次は、9代将軍家重のときに大名に取り立てられ、次の将軍家治のときに老中に抜擢され異例の出世をとげました。そして「田沼時代」と呼ばれるほどの権勢を手にしました。

田沼意次の父はもともと足軽で、決して身分高い家柄ではありません。それが老中にまでなるのですから大出世ですね。

この田沼時代は、賄賂と汚職が蔓延り、江戸の歴史上最も評判が悪い時代でもあります。

しかし渡部氏は、むしろいちばん江戸らしい良き時代だったと評しています。

その理由として、現在我々が「江戸」と聞いてイメージするような学問や芸術などの文化面がこの田沼時代に多く起こったからです。

例をあげてみましょう。医学分野では前野良沢や杉田玄白の『解体新書』、国学では本居宣長の『古事記伝』、文学では上田秋成の『雨月物語』、俳諧では与謝野蕪村、浮世絵では喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎などが活躍しました。

九州大学名誉教授である中野三敏氏によると、田沼時代とは「雅」と「俗」がちょうどうまく混ざり合っている時期だったと評しています。

田沼は、当時のロシアが北方に姿を現し始めたのをみて、蝦夷(北海道)の開発を検討していました。調査団を派遣し、アイヌの生活・風土を調査したり測量を行ったりしています。そして蝦夷に被差別部落の人たちを移民させようと考えていました。蝦夷に行けば差別もないからです。

しかし残念ながらこの計画は未実行で終わってしまいました。

その他、手賀沼を干拓して大量の田んぼを作る計画もありましたが失敗に終わりました。利根川の水がいつもの10倍くらいに増水してしまったためです。

田沼が老中だった15年間に、天明の大飢饉や川の凍結・氾濫、火山の噴火、地震や津波など天変地異が相次ぎました。

経済政策を進めていた田沼は志半ばで失脚しましたが、まことに運が悪かったと言えるでしょう。

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