この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第4章 江戸篇
新井白石とシドッチの出会い
(1709年/宝永9年)
です。
要点
- 東洋と西洋の当時最高峰の知識を持った二人の交流
- 二人の出会いは、後の日本の精神史へ大きな影響を与えた
- 白石の西洋認識が「和魂洋才」の考え方のもとになった
解説
シドッチはイタリア人イエズス会士で、密入国の罪で捕らえられ、長崎から江戸へ送られました。そのシドッチの尋問を行ったのが新井白石です。
西ヨーロッパで最高の教育を受けた宗教家であるシドッチと、「鬼」とも称されたほどの知性の持ち主だった新井白石との対話は、その後の日本に少なくない影響を残しました。
まず、白石はシドッチの自然科学に対する知識に舌を巻きます。日本は徳川幕府の時代、すでに地球一周するほどの航海術を備えていた西洋人に対し、ただただ驚くばかりだったといいます。
しかし、そんな西洋人が信仰しているキリスト教の話になると、戯言にしか聞こえませんでした。バイブルに書かれている話というのは、信仰がないと成り立たないものであり、儒者であった白石にとっては幼稚な内容に思われたのでした。
そして白石は「西洋は形而下の学(自然科学)では日本よりはるかにすぐれているが、形而上の学においては幼稚」という認識にいたり、それは後の「和魂洋才」の思想のもとになりました。
白石はまた、シドッチから得た西洋の知識を書籍に残しました。『西洋紀聞』、『采覧異言』などは当時の外国事情や地理・風俗・歴史を知るための最高の本とされ、福沢諭吉の『西洋事情』の先駆けとなりました。