この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第4章 江戸篇
『大日本史』編纂開始
(1657年/明暦3年)
です。
要点
- 「黄門様」こと水戸光圀が『大日本史』編纂を開始
- 幕末の尊王思想に多大な影響を与えた
- 全402巻、完成までに要した期間は250年
解説
『大日本史』は、明暦3年(1657年)に水戸(徳川)光圀が編纂を開始した歴史書です。神武天皇から第100代後小松天皇までを扱っています。昭和世代にとっては水戸光圀という名前より「水戸黄門」のほうが馴染みがあるかと思いますが、黄門様最大の功績は、世界に誇れる一大歴史書『大日本史』を編纂したことにあります。
『大日本史』編纂の目的は、それまで巷で書かれた様々な書が、個人がそれぞれ勝手に書いたようなものが多くなってきていたため、正しいものと間違っているものを分けることにありました。水戸光圀は副将軍だったので、その威光を持って全国各地の神社や寺にある書物を閲覧することができました。
『大日本史』の特徴は次の3つにあると言われています。
- 神功皇后を天皇ではなく皇后としたこと
- 大友皇子を天皇と見なしたこと
- 南北朝のうち、後醍醐天皇の南朝を正統としたこと
光圀が亡くなったあとも編纂は続き、最終的に完成したのは明治39年(1906年)、なんと日露戦争が終わった翌年のことでした。実に250年かけてようやく完成したのです。
水戸光圀の影響もあり、水戸藩は尊王思想のメッカのような藩になります。幕末明治維新の時、佐幕派・倒幕派といたわけですが、いずれも尊王思想が根底にあった点においては共通していました。『大日本史』は、その尊王思想の源流の一つと言えるでしょう。
所感
『大日本史』のもう一つの特徴だと個人的に感じるのが、編纂を命じたのが朝廷側の人間ではなく、幕府の重鎮だったことです。『古事記』や『日本書紀』などは朝廷が編纂を命じましたが、『大日本史』は徳川家が命じているわけです。そして徳川家を中心に書いているわけではなく、あくまで皇室を中心に書いています。