日本史 読書ノート

鎖国の完成/鎖国は日本人のアジア雄飛を阻み、大東亜戦争の遠因となった

投稿日:

この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第4章 江戸篇
鎖国の完成
(1641年/寛永18年)
です。

要点

  • 三代将軍家光の時代、寛永18年(1641年)に鎖国が完成
  • 実は戦国時代末期ころから、日本人は東南アジア各地に進出していた
  • 江戸文化は素晴らしいが、鎖国は日本の歴史全体からみるとマイナスだった/li>

解説

江戸時代といえば鎖国、と多くの人はすぐさま連想するのではないでしょうか。

海外との貿易を禁止し、国を閉ざす鎖国は、寛永16年(1639年)にポルトガル船来航を禁止したのを皮切りに、寛永18年(1641年)にオランダ人を長崎の出島へ移し終わったところで完成しました。

渡部氏は、「私は日本文化を愛する者ではあるが、しかし、日本の歴史全体からみると、徳川時代はやはり大きなマイナスの時代であったと思わざるを得ない。」と述べています。さらに、「鎖国さえしていなければ、大東亜戦争はなかったはず」とも言及しています。

その理由は、もし日本が鎖国をしていなければ日本人はアジアに雄飛していたはずだからといいます。その根拠のひとつとして、江戸時代が始まる前の戦国時代末期から、日本人は東南アジア各地に進出していた事実があります。ルソン島やジャワ、タイのバンコクにはすでに日本人町ができていたといいます。

もし鎖国をしていなければ、各地での商取引や文化交流は増え、発展していった可能性は十分考えられます。

そもそも大東亜戦争(太平洋戦争)勃発の背景には、石油を始めとする近代国家が絶対似必要とする物資を獲得する目的がありました。なぜならアメリカ・イギリス・オランダが日本への輸出を止めたからです。

もし日本人が、戦後と同じようにアジア各国へ進出していたら、ABCD包囲網にさらされても物資確保できたでしょうし、それ以前にABCD包囲網発動すらしなかったかもしれません。

徳川幕府はなぜ、鎖国をしたのか?その理由は日本国家全体のためなどではなく、あくまで徳川家の安泰にありました。その思想は最後の将軍慶喜まで引き継がれていきます。その布石を打ったのは家康であり、徳川幕府の本質は家康という人物にすべて表れている、と渡辺氏は評しています。

-日本史, 読書ノート
-, ,

Copyright© 2045プロジェクトブログ , 2024 All Rights Reserved.