この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第3章 戦国篇
秀吉、明の国使を追い返す
(1596年/慶長元年)
です。
要点
- 朝鮮出兵後の講和で、明と日本双方の使者が交渉の内容を正しく伝えなかった
- 真実を知った秀吉は烈火の如く怒り、交渉役の小西行長を処刑しようとする
- 秀吉の信頼厚い僧承兌のとりなしで行長は一命を取りとめる
解説
第一次朝鮮出兵では、補給がままならず止むなく撤退した日本軍でしたが、戦況事態は日本がずっと優勢でした。そのため秀吉も負けたとは思っていなく、明に対して7か条の講和条件を提示します。
中でも重要なのが
- 明の皇女を日本の天皇に差し出すこと
- 足利時代の勘合貿易のような通商を行うこと
- 京城付近の南部四道を日本に譲ること
の3つでした。
しかし明の側では、秀吉を日本の王に封ずればいいだろう、くらいにしか考えていません。
日本と明で双方の認識がまるで違っていたのです。しかも驚くべきことに、両国の使者は、自分の主君を恐れるあまり、本来の要求を相手に伝えず嘘の内容で交渉をし始めたのです。
その一例をあげてみましょう。
まず、明から下交渉に来た使いに対し、通訳の景轍玄蘇は
・平和になったら日本は明の属国になる
・明の先鋒になって韃靼(タタール)を討つだろう
などと、明にとって調子のいいことばかり並べ立てます。当然、秀吉が知ったら怒り狂うような内容です。
嘘の交渉を続けた結果、明側は王に封ずる気になり、正式な講和の使者を送ります。
秀吉は使者に引見し、僧侶の承兌に封冊(天使の下す任命書)を読み上げさせました。承兌は秀吉のブレーンで、秀吉を「日輪の子」と命名した人物です。
その承兌に対し、これまでの嘘の交渉経緯を知っている小西行長は、都合の悪い部分は読み飛ばしてほしいと頼んでいましたが、承兌はかまわず読み上げます。
そして、「ここにとくに爾を封じて日本国王と為す」という箇所まで読み上げたとたん、秀吉は烈火の如く怒ります。それは当然ですよね。これまで聞かされていた内容とはまるきり違う内容なわけですから。
ことの真相を知った秀吉は小西行長を明の使者とともに誅殺しようとしました。しかし、承兌がとりなしたおかげで行長は一命を取りとめました。
それにしても、嘘に嘘を重ねてここまでめちゃくちゃな交渉をするなどというのは、全く信じらせないですね。バレたらどうしよう、、とか思わなかったのでしょうか。