日本史 読書ノート

秀吉天下統一/名門・北条氏の滅亡と家康の関東封じ込め

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第3章 戦国篇
秀吉天下統一
(1590年/天正18年)
です。

要点

  • 天正13年(1585年)、朝廷から関白の宣下が下る
  • 最後まで抵抗していた北条氏を打ち破り、天下統一を果たす
  • 最大の難敵、家康は関東に封じ込める

解説

天正13年(1585年)、秀吉は朝廷から関白の宣下があり、翌年には太政大臣に任ぜられました。太政大臣というのは、朝廷における最高職です。この時朝廷から豊臣姓を賜り、羽柴秀吉から豊臣秀吉と名乗るようになります。

勢いに乗る秀吉は、四国の長宗我部元親、越中の佐々成政などを次々と討ち取ります。

最大の難敵である家康に対しては、正面から戦うことはせず、妹の朝日姫を嫁がせ、さらには母親の大政所を人質として差し出します。これはどういう意味があるのかというと、妹を嫁がせたことで秀吉と家康は「義理の兄弟」という関係になるわけです。結果、家康はやむを得ず臣下の礼をとることになりました。

そして天正18年(1590年)、最後まで秀吉に従わなかった小田原の北条氏を攻略します。難攻不落の小田原城に立て籠もり、100日以上も粘りましたが、結局総帥北条氏直は、自分以外の将兵の助命を条件に降伏しました。名君ですね。代々北条家は名君を輩出した家系としても有名です。

天下統一を果たした秀吉は、諸将の論功行賞に取り掛かりました。中でも特筆すべきは家康の処遇です。

家康には、伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野の六国を与え、下野・安房を支配下に置かせました。しかし、このうち安房・上野・下野にはそれぞれ秀吉が他の武将に安堵しているため家康のものにはなりません。さらに、三河をはじめ家康先祖代々の旧領についてはすべて取り上げてしましました。

当時の関東地方というのは未開の地で、とても厚遇とは言えない処置でした。しかし家康はグッとこらえ、秀吉の決定に従います。今は抵抗しても勝ち目がないと判断したのでしょう。そういった判断ができるところが、家康の傑出したところであると、渡辺氏は評しています。

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