この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第3章 戦国篇
天下動乱後の変化
(15世紀後半〜16世紀)
です。
要点
- 身分の低い者が下剋上により大名になる者が生まれる
- 応仁の乱のせいで朝廷は窮乏
- 公家や僧侶が地方に散ったことで、各地に文化が興った
解説
応仁の乱によって、足利幕府の将軍の権威は衰えました。それだけでなく、各地の身分の低い者が実力で上の者を倒し権力の座につくといういわゆる「下剋上」が全国で多発しました。
下剋上で最も代表的な大名が、小田原の北条早雲と、美濃の斎藤道三です。
また、長引く動乱により朝廷は窮乏します。後土御門天皇が亡くなられた時には葬儀を出す費用がないため、40日以上も遺体は御所に置かれたままでした。
また、践祚した後柏原天皇の即位の礼も、すぐには執り行うことができませんでした。ようやく即位の礼が行われたのはなんと、践祚されてから22年後だっといいます。つまり、22年もの間、朝廷といえどもお金が集まらなかったということです。それだけ応仁の乱による混乱の影響は大きかったといえます。
皇室に限らず、公家たちも生活に窮し、地方に散ります。また禅僧の僧侶たちは乱を避けて各地を回るようになります。その結果、地方にも文化が興り、新たな宗教が全国に広がることになりました。これは応仁の乱のプラスの面だと渡辺氏は評しています。