この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第3章 戦国篇
足利義政が慈照寺を建立
(1482年/文明14年)
です。
要点
- 文明14年(1482年)、慈照寺(銀閣寺)を建てる
- 足利義政は、政治的には無能だったが天才的な美的感覚の持ち主だった
- 足利義政の美的センスは、日本人の新たな感受性を発掘した
解説
室町幕府の八代将軍、足利義政の時代は応仁の乱が発生し政治的に混乱した時代でした。しかし、義政は政治に全く関心がなく、武力もなかったため無力でした。
そのため世間では戦争をやっているのに宴会ばかりをやっているような有様でした。
そんな将軍としては無能な義政でしたが、独自の美的感覚を持っていました。その一例が慈照寺、別名銀閣寺です。
慈照寺は文明14年(1482年)、隠居所として建立されました。
銀閣寺というのは、足利義満が建てた金閣寺に対比して江戸時代に名付けられたそうです。
金閣寺と比較すると、いかにも地味であまり特徴のないお寺のように感じます。私も子供の頃は銀閣寺の何がすごいのか全くわかりませんでした。しかし、歳を重ねるごとに銀閣寺の「しぶさ」がだんだんわかるようになりました。
義政自身は、何か有名な作品を作ったというわけではないのですが、その審美眼が抜群でした。茶碗なども義政がほめたものは「大名物」と呼ばれ、後の信長や秀吉の時代には特別重要な茶器として尊ばれたそうです。
渡辺氏は、「日本人は義政によって『幽玄』の美というものを理解できるようになったのではないか」と評しています。