この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第2章 中世篇
足利義満の急死
(1408年/応永15年)
です。
要点
- 義満は武家の位だけでなく宮廷での出世を望み始める
- 溺愛する息子義嗣を天皇にしようと企てる
- 義嗣の元服式後、義満は急に咳き込み発病、10日後には急死した
解説
足利尊氏の孫である義満の時代のころになると、政治的にはすっかり安定してきました。その義満が北小路室町に優雅な御殿を造ります。その地名をとってこのころから、足利幕府は「室町幕府」と呼ばれるようになります。
足利義満は、武家の位として頂点である征夷大将軍となっていましたが、それに甘んじることなく朝廷での出世を望むようになります。つまりは公家の世界でも自身の支配力を強化しようと考えたのです。
その野心はついに一線を越え、溺愛する息子、義嗣(よしつぐ)を天皇にしようとします。
どういう手を使ったかというと、義嗣を天皇の養子にしたのです。その結果、当時の天皇である後小松天皇の没後、義嗣が皇位を継承する可能性が生まれたわけです。
しかし、偶然にも義嗣の元服式を行った翌々日、義満が急に咳き込み、発病したのです。義満は51歳。
当時の平均からみても特別高齢というわけでもありません。
そのため、「天皇の位を簒奪しようとしたため罰が当たった」という考えを持つ人もいたようです。
ちなみに近年の研究では、足利義満には皇位簒奪の意図はなかったという説も支持を得ているようです。