日本史 読書ノート

源頼朝挙兵/「以仁王の令旨」と「平家の夢の醒めはじめ」

投稿日:

この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第2章 中世篇
源頼朝挙兵
(1180年/治承4年)
です。

要点

  • 平家滅亡のきっかけは以仁王の「平家追討の令旨」
  • 源頼朝は関東の豪族たちを率いて挙兵
  • 奥州から弟の源義経が合流

解説

「平家に非ざれば人に非ず」と豪語するまでに繁栄した平氏に対し、恨みを抱いていた人は少なくありませんでした。

源三位源頼政(げんさんみみなもとのよりまさ)が、皇族の以仁王(もちひとおう)を担ぎ平家追討の兵を挙げました。

この時は時期尚早で平家打倒は果たせませんでしたが、ひとつ重要なきっかけとなる出来事がありました。それが以仁王による「平家追討の令旨」です。

令旨とは皇后や皇太子や皇族の命令を伝える文書のことで、以仁王は後白河天皇の第三皇子でした。天皇自らの勅令ではありませんが、皇族から平家打倒の意志が発せられたことにより、諸国にいた源氏の蜂起を促したわけです。

源頼朝は最初は静観していましたが、最終的に関東の豪族たちに呼びかけ挙兵に至ります。

関東には、源頼朝の父の代から縁故のある豪族がたくさんいました。しかし、関東の豪族たちはただそれだけで頼朝に従ったわけではありません。

本書で渡部氏は、頼朝の棟梁としての器の大きさを示す、次のようなエピソードを紹介しています。

頼朝は挙兵後、相模国石橋山(現小田原)で平家軍敗れ、一度安房(現千葉県)で体制を立て直します。その際、上総の平広常(たいらのひろつね)が2万もの大軍を引き連れ遅ればせながら参陣しました。

並の人物ならここで、強力な助っ人に対して平身低頭感謝をするところですが頼朝は違いました。「なぜいまごろ来るのか」と広常を怒鳴りつけます。その毅然とした態度に広常は感服し、忠誠を誓うことになりました。

源氏の棟梁として、血統だけでなく実力も兼ね備えていたからこそ、頼朝に味方する人が多かったのですね。

源頼朝の軍勢が駿河の黄瀬川(きせがわ)まで来た時に、源平合戦の主役とも言える弟の源義経(みなもとのよしつね)が、奥州から駆けつけ兄弟の再開を果たします。

かくして頼朝軍と平家軍は、富士川で相まみえることになります。しかし平家は、夜中に聞こえた水鳥の羽音を源氏軍の攻撃と勘違いして一戦も交えずまま、武器も食料も放り出して遁走してしまいました。

それは、その後の平氏滅亡を象徴するような出来事でした。

所感

源頼朝挙兵のきっかけは、以仁王による令旨です。日本の歴史において朝廷の意向を受けている、ということが何よりも重要なのだということが、この出来事からも分かります。

また、渡部氏が紹介した頼朝のエピソードも興味深いです。失敗したり負けたりすると、つい弱気になるものですが、大人物ともると肝のすわりかたが違いますね。

-日本史, 読書ノート
-, ,

Copyright© 2045プロジェクトブログ , 2024 All Rights Reserved.