日本史 読書ノート

前九年の役/後三年の役/源頼義・義家父子の活躍から武士が台頭し始めた

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第2章 中世篇
前九年の役/後三年の役
(1051年/永承6年、1083年/永保3年)
です。

要点

  • 源氏の頼義・義家父子が奥州の豪族安倍氏、清原氏を制圧した
  • 率いた関東の豪族には朝廷からの恩賞はなく、頼義・義家が自腹で恩賞を与えた
  • これによって関東の名だたる豪族を味方につけた

解説

平安時代後期は、源平の時代に移っていきます。源氏も平氏も家系的には皇室の子孫です。

源氏は第56代天皇である清和(せいわ)天皇の子孫です。そして清和天皇の4世代、5世代後に源頼義(みなもとのよりよし)とその長男八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)です。

この親子が、二度にわたって奥州の陸奥国を支配していた豪族を制圧したのが前九年の役・後三年の役です。

前九年の役は、永承(えいしょう)6年(1051年)から康平(こうへい)5年(1062年)に行われた戦いで、相手は安倍氏。

後三年の役は、永保(えいほう)3年(1083年)から寛治(かんじ)元年(1087年)に行われた戦いで、相手は清原氏。

後三年の役のほうは事情が少し複雑です。安倍氏滅亡後に奥州で勢力を伸ばしていたのが清原氏で、この清原氏の内部抗争に義家が介入、結果義家が加担した清原清衡(きよはらのきよひら)軍が勝利を収めます。

この清原清衡が、旧姓である藤原氏に改名し、奥州藤原氏の始祖となりました。

前九年の役・後三年の役の意義は、源氏の影響力が強まるきっかけとなったという点です。

というのも、どちらの戦いに対しても朝廷は十分な恩賞を与えませんでした。武士というのは元来、報酬を受けるために命をかけているわけで、この扱いには非常に不満を持ったわけです。

そういう事情のところに頼義・義家はなんと、自腹で自分たちについてきてくれた関東の豪族たちに恩賞を与えました。

当然、関東の豪族たちは非常に感激し、朝廷よりも源氏に恩を感じるようになるのです。

所感

源氏も平氏も皇室の子孫だったということは、大人になってから日本史を学び直して初めて知りました。いや、学生の頃習ったのかもしれませんが・・・。

ちなみに朝廷というのは得てして武士に対して冷たいというか、あまり評価していなかったようです。今回の前九年の役・後三年の役もそうでしたし、後の世の元寇にあたった北条時宗や、後醍醐天皇を支えた楠木正成に対しても、その功労に対し十分報いたと言えるようなものではありませんでした。

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