日本史 読書ノート

藤原氏の栄華/日本の権力者はなぜ「慎み」を忘れなかったのか

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇
藤原氏の栄華
(11世紀初頭〜中盤)
です。

要点

  • 藤原氏は結婚政策によって権力を握った
  • 権力は握ったが絶対に自分が皇位にはつこうとしなかった
  • その慎み深さゆえに藤原氏は亡びず現代まで続いている

解説

藤原氏は、平安時代に最も栄えました。平安時代は藤原氏の時代と言っても過言ではありません。藤原道長(ふじわらのみちなが)の次の歌を聞いたことがない人はいないでしょう。

 この世をば
 わが世とぞ思ふ 望月の
 欠けたることも
 無しと思へば

藤原氏の戦略は、自らが権力のトップになるのではなく、自分の娘を天皇の妻、つまり皇后にすることで権力を握るという「結婚政策」でした。結婚政策によって権力を強化する方法は中世ヨーロッパのハプスブルク家も有名です。

この藤原氏の結婚政策はなんと、平安時代から昭和の御代まで続いていたというから驚きです。

なかでも最盛期の藤原道長は一時、長女が大皇太后(たいこうたいごう、先々代の天皇の皇后)、次女が皇太后(先代の天皇の皇后)、三女が皇后という「一家立三后(いっかりつさんごう)」という、文字通り古今東西例を見ないような血縁関係を作り上げました。

これほどまで権力をほしいままにできたのなら、ほかの国なら間違いなく自らがトップの座を奪い取るところですが、藤原氏は絶対に皇位簒奪を企むことはありませんでした。

渡部氏は、藤原氏は「自分たちの一族が神話時代から皇室に仕えるものであるという意識があるから」と分析しています。

自分たちの正当性は、皇室が存在してこそ威力があるのだということをわきまえていたというのです。この慎みと節度ある態度が、周囲からの抵抗を受けずに栄華を極めることができたのだという渡部氏の指摘は、的を得ていると言えるのではないでしょうか。

所感

大人になってから日本の歴史を改めて学んでみると、藤原氏の影響力の大きさに度肝を抜かれます。

藤原氏の始祖は、大化の改新の立役者である中臣鎌足(藤原鎌足)です。さらに神話の時代までさかのぼると、天児屋命(アメノコヤネノミコト)が始祖です。天児屋命は、天岩屋戸に隠れた天照大御神(アマテラスオオミカミ)が岩戸を少し開いた時に鏡を差し出したり、天孫降臨で瓊瓊杵命(ニニギノミコト)のお供だったりというエピソードの持ち主です。

そういった出自の良さも、繁栄の一因になっているのだと思います。

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