日本史 読書ノート

道鏡事件/女帝が引き起こした古代における皇統最大の危機

投稿日:

この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇
道鏡事件
(769年/神護景雲3年)
です。

要点

  • 僧侶の道鏡(どうきょう)が天皇の位を得ようとした事件
  • 女帝である孝謙上皇が病の時、祈祷して病を癒したのがきっかけで道鏡が政治に介入
  • 和気清麻呂(わけのきよまろ)が道鏡の圧力に屈しなかったため、危ういところで皇統は救われた

解説

道鏡事件とは、奈良の僧侶であった道鏡が天皇の位を得ようとした、古代における皇統存続最大の危機といえる事件です。

道鏡は、孝謙上皇が病に臥せった際、祈祷を行ってその病を治しました。その結果、道鏡は孝謙上皇の深い寵愛を受けることになります。一説には、男女の関係にあったとも言われていますね。

道鏡事件の背景には、当時の天皇後継者問題が関係しています。

孝謙上皇には子供がいなく、後継者は天武天皇の孫にあたる淳仁天皇でした。しかし淳仁天皇は、孝謙上皇と道鏡の只ならぬ関係を諌め、そのこともあり関係は悪化し、「恵美押勝の乱」の後、孝謙上皇は称徳(しょうとく)天皇として再び天皇として即位します。

こうなると道鏡の権力はますます強まり、政治に深く介入するようになります。そしてついには「道鏡を皇位につければ天下泰平になるであろう」という宇佐八幡の神託があったと道鏡は称徳天皇に伝えます。

道鏡を寵愛する称徳天皇も、流石に鵜呑みにするのを躊躇し、臣下の和気清麻呂に命じてサイド宇佐八幡の神託を受けに行かせました。

この時、道鏡は清麻呂に賞罰をちらつかせ圧力をかけました。もちろん、神託は本当だった、道鏡が天皇になるべきだと言え、という脅しです。

しかし、清麻呂は「天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託を持ち帰ります。つまり天皇の後継者は必ず皇孫(皇室の血を引くもの)でなければならず、道鏡のようなものは決して皇位につけてはならない、ということです。

この神託のおかげで皇統は救われ、今に続く皇室の伝統が保たれています。

所感

神武天皇から2,600年以上続く皇統の歴史の中には、断絶の危機が何度か訪れます。

道鏡事件より前には、25代武烈(ぶれつ)天皇で、直系の子孫がいなかったため5世代さかのぼった応神天皇の子孫である継体天皇を見つけ出し、即位させることで皇統をなんとか繋ぎました。

道鏡事件では、すんでのところで和気清麻呂という忠臣が皇統を救った形になりました。

こういった史実を知るにつけ、皇室の系譜というのはやはり奇跡的で、皇統を守り続けることに対し並々ならぬ想いを先人たちは持っていたのだろうと想像し、胸が熱くなるなります。

-日本史, 読書ノート
-, ,

Copyright© 2045プロジェクトブログ , 2024 All Rights Reserved.