日本史 読書ノート

東大寺大仏建立/民衆がボランティアで参加した国家プロジェクト

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇
東大寺大仏建立
(752年/天平勝宝4年)
です。

要点

  • 聖武天皇が皇位を譲位し大事業を開始、752年に完成
  • 鋳造された仏像としては世界最大
  • 民衆に参加を呼びかけ仏像を建設した

解説

「奈良の大仏」として知られる東大寺大仏は、天平勝宝4年(752年)に感性した、世界最大の鋳造仏像です。

聖武天皇は、仏事に専念するために娘の考謙(こうけん)天皇に譲位し、東大寺建造の大事業に着手します。その際、唐にも天竺(インド)にもない大寺院を造ろうと決意し、実現させます。その建造には日本人だけでなく、朝鮮人やシナ人、インド人やトルコ人も海を渡ってやってきて参加したというから驚きです。

東大寺大仏建造の最大の特徴は、その事業の規模にあるのではない、と渡部氏は述べています。では、何が最大の特徴なのでしょうか?それは「民衆に呼びかけみんなで建設した」点にあります。

当時の天皇は、現代よりもはるかに富と力を独占していました。そのため聖武天皇がその気になれば、自分だけの財力で大仏を建造することもできたのです。

しかし、聖武天皇は「大仏造営の詔」を発し、人枝の草、一握りの土でもいいから資材を持ち寄ってみんなで造ろうじゃないかと呼びかけたのです。

これは、自分の財産を支出するのをケチったわけではなく、多くの人が仏像建造に携わることで、その人々にも仏との縁を結ぶ機会を与えてあげたいという思いから発せられた詔なのです。

所感

聖武天皇の大仏造営の詔は、「和をもって貴しとなす」の精神が垣間見えるエピソードだと感じました。富やご利益を独占するのではなく、みんなで分かち合おうという精神。それを天皇自らがお示しになった。それは古代の権力者としては斬新かつ画期的な発想だったと渡部氏も述べています。

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