日本史 読書ノート

大化の改新|中央集権国家をめざした宮中のクーデター「乙巳の変」

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇
大化の改新
(645年/大化元年)
です。

要点

  • 蘇我氏の横暴に対しクーデーターを起こした「乙巳の変」
  • 中心人物は中臣鎌足と中大兄皇子
  • 真の目的は東アジア情勢に対するための中央集権国家樹立

解説

仏教推進派だった蘇我稲目(そがのいなめ)は、自分の娘を天皇の后にすることで権力を拡大し、さらにその子孫の代では反仏教派の物部氏(もののべし)やさらには崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺するなと、やりたい放題となります。

稲目から4代目までの名前をおさえておきましょう。

蘇我稲目(そがのいなめ)
蘇我馬子(そがのうまこ)
蘇我蝦夷(そがのえみし)
蘇我入鹿(そがのいるか)

入鹿の代になると、ついに皇位を狙うまでに増長します。この蘇我一族の横暴許すまじと密かに打倒蘇我氏を企てる人物が現れます。その人物が中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。

中臣氏は代々神事・祭祀職をつとめる国粋派で、仏教伝来時も反仏教派として蘇我氏と争った氏族です。

鎌足は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)を仲間に引き入れ、リーダーとして仰ぎ自身は参謀役になります。さらに、入鹿の従兄弟である蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)も同士に引き入れます。

そして645年、三韓(新羅・百済・高句麗)から進貢の使者が来朝した際に行われた儀式の最中に、入鹿を斬り殺しました。入鹿が殺されたことを知った蝦夷は自宅に火を放ち自害します。

この宮中クーデターのことを乙巳の変(いっしのへん)と呼びます。大化の改新はこの乙巳の変を発端とする一連の政変全体を指します。

渡部氏の解説によると、このクーデターによる政権交代の目的は、東アジア情勢に対応する天皇への権力集中と国政改革にあったと述べています。

事の経緯だけを読むと、反仏教の国粋派(神道派)が、仏教派の蘇我氏に対する恨みを晴らすためにクーデターを起こしたようにも受け取れますが、真意はそこではありません。

当時、中国は唐の時代で、東アジアに対し非常に強大な影響力を持っていました。そんな唐に飲み込まれないようにと、中央集権国家を目指したのではないかと言われています。

単純な国粋派vs仏教派の勢力争いだったわけではない一面として、渡部氏が例に挙げているのが、鎌足のブレーンとなった人物です。

鎌足がクーデターの準備をしていた時のブレーンには、いわゆる仏教派の旻(みん)や南淵請安(みなみぶちのしょうあん)らがいました。また、政権奪取後は唐の制度を取り入れた律令国家をつくりあげています。

所感

大化の改新は、当時の東アジア情勢を意識したものだったというのは知りませんでした。てっきり蘇我氏の横暴に腹を立てた中臣鎌足が、中大兄皇子と一緒に蘇我氏を打倒するのが目的だと思っていました。

また、国粋派の鎌足が、目的を達成するためには反対勢力である仏教派の力を活用している点にも驚かされました。

渡部氏も指摘していますが、明治維新の頃、攘夷派が政権奪取したとたん、開国に切り替えた時のやり方と似ているように感じます。

節操がないというか、柔軟というか、それまでの常識にとらわれないで大胆に軌道修正するような出来事が、日本史の中ではちょくちょく出てきますね。

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