この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第1章 古代篇
十七条憲法制定
(604年)
です。
要点
- 聖徳太子が十七条憲法を定めた
- その理念は、現代の日本人からみても自然と納得できる内容
- 近代的な意味でも憲法の名にふさわしいもの
解説
最近の教科書では厩戸皇子(うまやどのおうじ)と表記されている、聖徳太子(しょうとくたいし)が定めたのが「十七条憲法」です。
第一条は、「和をもって貴しとなす」です。"和"を重んじる日本人の精神は、ここから始まっているのではないでしょうか。
この条文が生まれた背景として、憲法制定前に起こった皇位継承を巡る争いが遠からず関係していると考えられます。
渡部氏が重要な条文として挙げているのが第十七条です。その内容は「独断すべからず、必ず衆と論ずべし」です。これは、十七条憲法制定から約1250年も後に出された明治天皇の五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」に通ずると渡部氏は指摘しています。
余談になりますが憲法について、渡部氏が様々な書籍で繰り返し述べているのが、「憲法」は英語でconstitutionと言い、元々は「体質」という意味であるという点です。
つまり、憲法は国家の体質を現すものと述べています。
そして、体質は変化するものなのだから、時々に応じて実際の体質と合わなくなってきたら憲法改正すべきだ、と主張しています。
世界で最初の成文憲法(明文化された憲法)は、1788年発行のアメリカ合衆国憲法です。その約1200年も前に、日本には単なる掟ではない「憲法」を持っていたことは驚くべきことである、と渡部氏は述べています。さらに、その理念は現在に至るまで受け入れられる内容であることは、ただただ感嘆するばかりです。
所感
・和をもって貴しとなす
・独断すべからず、必ず衆と論ずべし
・広く会議を興し、万機公論に決すべし
これらは、いかにも日本人にとって感覚的に共感しやすい内容だと思います。
ただ反面、こういった日本人の感覚は、「責任の所在やうやむやになりやすい」、「決断まで時間がかかる」などの批判の元凶でもあると思います。
日本人らしさを大事にしつつ、弱点を克服できる考え方をしていきたいものですね。