この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。
今回は
第1章 古代篇
仏教伝来
(552年)
です。
要点
- 552年、百済の聖明王から仏像と経典が献上される
- 天皇として初めて仏教を信じるようになったのが、用明天皇
- 宗教としてよりも新たな学説を導入した感じに近い
解説
日本に仏教が正式に伝来したのは、552年(538年という説もあり)に百済の聖明王(せいめいおう)から仏像と経典が献上された時とされています。実際には、北九州地方や帰化人の間ではある程度広まっていたようです。
仏教を国として受け入れるかを巡って、推進派と国粋派が激しく対立します。
推進派は、蘇我氏の稲目(いなめ)。蘇我氏の祖先は、朝鮮半島と換気の深い武内宿禰(たけしうちのすくね)。武内宿禰は、孝元天皇の子孫とされ、歴代の天皇に仕えた伝説上の忠臣です。
一方の国粋派、つまり仏教を認めない勢力には大伴(おおとも)・物部(もののべ)・中臣(なかとみ)氏など。いずれも神武天皇以来の氏族であるため国粋派と呼ばれています。
仏教を受け入れるかを巡って、推進派の蘇我氏に対し時の天皇である欽明天皇は、そんなにご利益があるなら試しに祀ってみよ、ということで、蘇我稲目に仏像を下げ渡します。
稲目は寺を建て仏像を拝み始めます。しかし、幸か不幸かその年に疫病が流行し、多くの死者が出ました。
これを国粋派が、「外国の神を拝んだからだ」ということで、仏像を奪い寺を焼き払う事態になりました。
このまま仏教は下火になるかと思いきや、蘇我氏の巧妙な血縁戦略により、仏教を信じる天皇が誕生します。
先述の欽明天皇の二人の后はどちらも蘇我稲目の娘で、そのうち一人の后である堅塩姫(きたしひめ)が生んだ子、用明天皇は、歴代天皇の中で初めて仏教を信じるようになりました。
神道は、天照大神を祀っています。そして天照大神は、天皇直系の祖先です。そんな天皇が、仏教という外国から伝来してきた宗教を信じるよになったというのは、本来なら一大事です。
にもかかわらず、当時も今も特にこの出来事をさほど問題とは感じていないのが、日本人らしい特徴です。
渡部氏は、これは宗教というよりは新しい学説を導入した感じに近いのではないか、と分析しています。
例えば明治時代に、和魂洋才をスローガンに西洋文明を吸収したのと同じように、当時の日本も神道を大事にしつつ仏教を受け入れていったのです。
所感
日本では古来より、皇室との血縁関係を濃密にすることによって自らの政治権力を強化する勢力というのがいました。いわゆる政略結婚ですね。この時代では蘇我氏であり、後の夜では藤原氏がいます。海外に目を向けると、中世ドイツのハプスブルク家が有名です。
その是非はさておき、蘇我氏が主導して用明天皇が仏教を受け入れた結果、日本には神と仏が共存共栄する独自の伝統が生まれました。このことはその後の日本の文化・風習・思想など広範囲によってプラスの結果を生んだと思います。
西欧のYesかNoか、ではなく、異物を拒絶することなく飲み込んでしまい、さらには自らのアイディンティティにしてしまうような力強さを感じませんか?日本人って面白いなとしみじみ感じます。