日本史

神功皇后の三韓征伐|『読む年表 日本の歴史』読書ノート

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本の歴史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇 神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐(さんかんせいばつ)(200年頃/4世紀後半)
です。

要点

  • 3、4世紀頃には既に、日本には強大な中央政権が存在した
  • 広開土王碑には、当時日本が朝鮮半島へ攻め込んだことが記されている
  • 仁徳天皇の墓は、底面積に広さでは世界最大

解説

三韓征伐とは、神功皇后が朝鮮半島へ出兵し服属下においた話のことです。『古事記』や『日本書紀』にその経緯に関する記述があります。

それだけでなく、韓国側の史料にも日本が当時、大規模な遠征を行ったことが記されています。代表的なものが、広開土王碑という石碑です。

広開土王碑(こうかいどおうひ)とは、現在の中国吉林省(北朝鮮との国境付近)にある、高句麗時代に建てられた石碑です。

これらの事実から渡部氏は、当時の日本はすでに強大な中央政権が存在し、朝鮮半島で軍事力を発揮していたことは間違いない事実であろうと述べています。

ちなみに、日本に攻め込まれたことを認めたくない在日朝鮮人の学者が、「日本陸軍が広開土王碑を改竄・捏造した」と主張したことがありますが、この説は中国人の研究でも否定され、現在では完全に否定されています。

神功皇后は、仲哀天皇の后で、三韓征伐のときにはなんと、赤ちゃんを身籠っていました。その赤ちゃんというのが後の応神天皇であり、応身天皇の子、つまり神功皇后の孫が仁徳天皇です。

仁徳天皇は、そのお墓の巨大さで有名です。

大阪府堺市にある前方後円墳の仁徳天皇陵古墳は、クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓と呼ばれています。

所感

仁徳天皇陵古墳は、その底面積がピラミッドより始皇帝陵より広いというから驚きですね。

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