日本史

大和平定|『読む年表 日本の歴史』読書ノート

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この記事は、渡部昇一著『読む年表 日本史』の読書ノートです。

今回は
第1章 古代篇 大和平定(紀元前660年/皇紀元年)
です。

要点

  • 神武天皇が橿原(かしはら)で即位。この日(新暦で2月11日)が現在の建国記念日
  • 「八紘一宇(はっこういちう)」の元ネタはこの時生まれた
  • 天孫系と出雲系が平和裡に合体

解説

大和平定とは、神武東征を終えた神武天皇が、橿原(現奈良県)に都を開き、即位式を行った出来事をいいます。

このときに神武天皇が話した言葉があります。

「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩いて宇となさん。また可からずや」

大東亜戦争(第二次大戦)中の日本がスローガンとして掲げた「八紘一宇」はここからきています。

渡部氏が解説しているように、元々この「八紘一宇」は他国を侵略するような思想から生まれたものではなく、「これからは国じゅう一軒の家のように仲良くしていこう」という、極めて平和的思想から生まれたものでした。

戦後は、日本の侵略戦争を正当化するために用いられた言葉だと批判されていますが、当時の日本政府としてもそんな意図で用いたわけではないと推察します。

さて、大和を平定した神武天皇(天孫系。アマテラスの子孫)は、スサノオの子孫である出雲系の娘と結婚します。これは、天孫系である大和朝廷と、出雲国が完全に和解したことをあらわしているのではないか、と渡部氏はみています。

所感

「八紘一宇」。戦後の現代ではすっかり軍国主義者がかつて提唱していた言葉として捉えられています。

しかし元々その言葉の由来を知ると、決して物騒なものではないし、むしろそれまで長い間行われてきた争いが終結したあとに発せられた平和宣言なのだということが分かります。

その意図は、「国際の平和及び安全を維持すること」を謳った国連憲章と通じるものがあるのではないでしょうか。

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