日本近現代史

自虐史観は敗戦後しばらくは浸透していなかったという事実

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百田尚樹氏の『「日本国紀」の副読本』を読んでいたら、意外な事実を知ることができました。

それは、自虐史観は敗戦後しばらくは浸透していなかったということです。

日本は敗戦後、GHQのWGIPにより徹底的に「日本は悪だ」という自虐史観を植え付けられました。

しかし、意外なことに敗戦直後から7年間、GHQが占領していた時期や占領が終わって暫くの間は全く自虐史観は浸透していなかったらしいのです。

なぜなら、敗戦直後は当然ながら戦前の教育を受け、戦前の日本の実情を多くの国民が知っていたからです。

占領軍がやってきて、日本は悪だとキャンペーンを張って、抵抗する力がなかったので黙っていたけれど内心はみんなそんなことはないとちゃんと分かっていたんですね。

そのことを端的に表わしている出来事が、昭和二十六年(1951年)にサンフランシスコ講和条約を締結し、翌年に占領軍が去った後に起こった戦犯の名誉回復の動きです。

当時の日本の人口が8,500万人ほどのなか、実に4,000万人もの署名が集まったのです。

昭和二十七年の統計では20歳未満の人口が約4,000万人だったので、大げさではなく本当に当時の成人のほぼ全員が署名したわけです。

東京裁判をはじめとする自虐史観が浸透していたら、日本は罪を犯したのだから罪を償うべきだ!という人も一定数いたはずです。

サヨク的な立場からすると、「当時の日本人はみんな軍国主義に洗脳されていたのだ」という話になりそうですが。。

戦前の人たちが大勢いた時代は、自虐史観の洗脳には染まらなかった。では、いつころから自虐史観が浸透していったのでしょうか?

それは、戦前を知る人達が相対的に少なくなってきた昭和40年後半ころからだというのです。その後1980年代、1990年代とエスカレートしていき、時の政治家が近隣諸国に対し過度に気を使うようになりました。

おそらくインターネットが登場しなかったら、状況はさらに深刻化していった可能性のほうが高いでしょう。

自虐史観なんて言葉自体、今の現役世代で最後にしたいものです。次の世代にはぜひ、自分たちの祖国に愛着と誇りを持ってもらいたいと願っています。

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